こんにちは、いつもありがとうございます。
牧の原モア教室の岡本です。
本日は『終身教授録』の中から「気品」についてお話したいと思います。
●気品とは
「気品」という言葉を辞書で引くと、「上品さ」「気高い品位」と出ます。
ところが、この本の中で森先生は次のように「気品」を説明されています。
気品とは…
- ・人間の人格的値打のすべて
- ・背後から射してくる人格的な光背
- ・最強の教育的感化の源泉
どれもこれも非常に強いパワーを持った表現ですよね。
最初にこれらの言葉を目にしたときは、私は「ちょっと言い過ぎなのでは?」という気持ちにさえなりました。
しかし、読み進めていくうちに「確かにそうなのだ」という考えに変わっていったのです。
●気品を得るには
気品を得るために必要なものとして、森先生は次の要素をあげていらっしゃいます。
- ・遺伝
- ・生まれつき
……いかがでしょうか。
「そんなぁ……」という、がっかりした気持ちになった方もいらっしゃるのではないでしょうか。
遺伝や生まれつきというのは、努力ではどうにもならないことで、もし今自分に気品がないのだとしたら、今後も一生気品を得ることはできないということに思えます。
しかし、森先生はこの遺伝について、「祖先代々の修養の集積」であると説明しています。
つまり、自分のご先祖様が少しずつ少しずつ努力を重ねて下さったことが、今の私達を作っているのだということです。
そこから発想を広げ、修養を重ねることで「遺伝」を作れるともおっしゃっています。
私達が努力をすることで、自分の直系の子孫にはもちろんですが、教育を通じて教え子たちにも伝えることができるというのです。
これは「気品」に限ったことではありません。
どんなことでも、私達は今この瞬間から進化していくことができるのです。
●気品を得るための修養
気品を得るためにすべきこととして、「慎独(しんどく)」が挙げられています。
これは「独りを慎む」ということで、「誰が見ていない独りのときでも行いを慎み、雑念の起こらないようにすること」という意味です。
また、これは儒教の教えでもあり、武力ではなく徳(品性)で治めようというところと通じています
加えて、森先生は「真の慎独は天を相手にすることだ」ともおっしゃっています。
誰が見ていなくてもお天道様は見ているよ、ということだと私は解釈しました。
これらを知ったとき、私は森先生のおっしゃる気品の意味、そしてこれが人格的値打であり、光背であり、またひとつの教育者として備えるべきものの理想なのだと思ったのでした。
●まとめ
「誰かが見ているから」「見ていないから」ということではなく、独りでも正しい行いをすること。
今から進化するために修養を重ねること。
これは私達教育者にも通じることですし、勉強に臨む生徒の皆さんにも通じることではないでしょうか。
- ・独りでも勉強をする。
- ・生まれつきの頭のよしあしを言い訳にせず勉強をする。
そんなことを、「最強の教育的感化」を備えた講師になって、これからの生徒に伝えていきたいと思います。