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2021.05.15

修身教授録 第1部 第19講義『松陰先生の片鱗』

皆さんこんにちは、牧の原モア教室の神﨑です。
修身教授録第1部19「松陰先生の片鱗」についてお話いたします。

松陰先生こと吉田松陰と言えば、彼と彼の主催していた松下村塾、そしてその門下生たちはあまりに有名です。
高杉晋作や伊藤博文・山形有朋など、幕末・明治の日本で活躍した人物が綺羅星のごとく揃っていることもそうですが、松陰の指導はわずか2年程のことというから驚きです。

そのことについては今改めて評価がされており、様々なリーダー研修などでも取り上げられるそうです。

そんな松陰ですが、入塾志願者が来た際には「自分は教えることはできないが、共に学ぶことならできる。」と、大変謙虚な姿勢であり、塾生に対する言動も、大変丁寧なものであったといわれています。
本書において森先生もそのことに触れ「自分もまた一人の求道者であると思うならば、そこに先生・生徒という上下関係はない。
それがわからない人は小学生相手にさえ声を荒げて、しかも平然としている。」と、松陰の姿勢を絶賛しています。

また、本書では「先生」の役割を登山に例え、先生の役割は後から上がってくる生徒に手を伸ばし、登ることを手助けすることだとも言っています。

これを私は日々直面することあてはめて考えたときに、例えば、宿題をやってこないなど。これは当然、ほめられたものではありません。
しかし、体力・精神力ともにこれから成長していく子どもに対して、ときに道を外れていると私たち大人が思うこともあるかもしれません。
そんなとき、我々先を行(生)く者がすべきことはなんでしょうか。なぜできない、なぜわからないと、上から𠮟りつけることでしょうか。

私はそのときは、まず話を聞きます。
その上で親御さんをはじめ大人たちはどう思うのか、このことが貴方(子ども)の未来にどのような影響を与える可能性があるのか、といった大人側の気持ちや大人になって気づいたことを話します。
特に、私も子どもの頃、宿題忘れ等が全くなかったのかといえば、恥ずかしながらそうではありません。
それを思えば、上から叱るなどできようはずもありません。

しかし、講師を続けていて思うことは、どれほど日々の宿題が重要か、日々の積み重ねが最後に大きな差を生むのか。
このことを伝えようとしたときに、自分の姿勢にハッとさせられるのです。

そして、「自分も宿題忘れとかの経験はあるから、気持ちはわかる。でも、それで今、後悔していることも少なくない。どうやっていったらいいか、一緒に考えよう。」と伝えます。
それでも伝わりきらないこともあるかもしれない。
ただ、それこそ私も学ぶことができる瞬間です。

私は本書を読んで改めて、子どもに対する姿勢についてあるべき姿を確認できたと思います。
これからも私は目線を落とし、話を聞き、理解したうえで、共に学ぶ姿勢で伝える、この姿勢を貫きたいと思います。

最後までお読みいただき、どうもありがとうございました。

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