こんにちは、NEVER TOO LATE イオン千葉NT教室の白石です。
まずは本共有会にあたり、その著書を通し時空を超えてご教鞭を振ってくださった森信三先生、またこの機会に感謝申し上げます。
500超ページになる“修身教授録”。この叡智に満ちた書物から、果たしてどこを特に自分に落とし込もうかと読んでいるうちに、あっという間に読了しておりました。
志についてか、我慢についてか、はたまた生死についてなのか。
何度も読んでいるうちに、私自身が最も感銘を受け、確実に自分の血肉にしたいと思った講義をご紹介させていただきます。
自序 第一文
「『修身教授録』というような、まるで骨董品みたいな書物が生まれたのは、全く偶然とも言えぬほどの偶然のしからしめた結果であって、これこそまさに天意という外あるまい。」
さて、今回私が取り上げさせていただく講義は、
“人を植える道”です。
私はこのように題された講義名を見たことがありません。
しかし誰しもがこれを読んだときに、成程これは素晴らしい、とその表現に感銘を受けることでしょう。
森信三先生は次のような書き出しでこの講義を始められておられます。
教育ということは、これを言い換えると「人を植える道」と言うこともできましょう。
私たちはみな、すべからく誰かに支えられ、助けてもらいながら大人になっていきます。
しかし実際に決断をして、舵をとるのは教師や親ではないのです。
いかにその教育が洗練されていても、ネバー流に言えば、積み切れなければ甲板からぽろぽろと零れ落ち、僅かな物資で航海することになります。
学ぶ態勢がしっかりと取れるよう、物の積み方を教えてあげたり、帆の広げ方を教えてあげたり、舵の取り方を教えてあげる。
成長をさせてあげるという直接的なことが教育の主でなく、成長していける根や土壌の世話をしてあげることだと仰せられていました。
授業の品質向上はもちろん、何気ない生徒とのやり取りや休憩時間にある会話の重要性について再認識させていただきました。
森信三先生の文を次に引用させていただきまして、私の『修身教授録』のご紹介とさせていただきます。
ありがとうございました。
男一匹、この二度とない生涯を、単なる鼻たれ小僧のお相手だけかと考えれば、捨て身になって修養しなければならぬという熱意のわからないのも、一応無理からぬことでしょう。
されば諸君らは、すべからく活眼を開いて、自分らの行く手を大観して、任重くして道の遠きを知るとともに、翻って自ら深く、養い蓄える覚悟をしなければならぬと思うのです。
真の教育とは
一人の偉大な教師の存在によって、二十年、三十年、否、時には四、五十年の後に、その地方が根本から立ち直って、そこに新たなる民風が起こるというでなければならぬでしょう。