皆さんこんにちは、イオン千葉NT教室の立石です。
「真面目」、今回は真面目という言葉についてお話しします。
皆さんは、真面目という言葉からどんな意味やイメージを連想しますか?
例えば
「クラスの〇〇さんはいつも真面目だ。とても感心するよ。」
「〇〇さんはとてもまじめな印象だ。」
といったように、「真面目」は
【嘘偽りのない真剣な様子】
【誠実でいい加減でない、真心を持った様子】
を表す、ありふれた言葉の一つとなっています。現在、真面目に限らず「言葉そのものを捉え、本来の持つ意味を吟味されなくなった言葉」は増えています。
しかし、真面目の真と面の間に「の」を挟むと「真の面目」になり、「真面目」とは異なる新しい面や新しい力が見えてきます。
つまり、「真面目」とは「自分自身の真の面目を発揮する」という意味になります。そうなると、真面目という言葉に含まれる真の意味についてあらためて見直す必要性が生まれます。そこにある種の探求心や情熱さえも感じるほどになってきます。
修身教授録において、著者の森信三先生は
「真の面目を発揮するとは、いつ何時も全力で取り組み、さらにもう一つ上を目指す努力を積み重ねていくことである。つまり、100%の力を出し切って満足することなく、120%の力をふるうことが『真面目』な生き方になる。いわゆる『百二十点主義』が根底になる。」
と述べています。
どんなに自分にとって合わないことや面白くないと感じることでも、120%の力で臨めば自ずと面白さを実感し、実力や社会的信頼がついてくることにつながります。職場においては、難しくても価値のある仕事に携われるようになります。
また、森先生は本書で
「『真面目な生き方』を目指すためには、1秒をも惜しむほど時間を無駄にせず有効に過ごすことが大切だと心得るべし」とも述べています。有意義に過ごすことの大切さについても深く考えさせられますね。
「真面目」は、最初は意味を多角的に捉えられても、やがて慣れてくると表面的な部分しか見えなくなります。
「覆われた表面を破ることで真の意味を味わえる。」これは修身においても同様であり、人は実力の有無ではなく、まず確かな決心と覚悟を備えて内面から味わいを深くすることで強くなれます。それ以外の要素はその先で、のちに結果としてついてまわるようになります。
私自身も「真面目な人物」と評されることの多い人間ですが、言葉通りの人物像で終わらず常に全力を超える姿勢で臨んでいかねばならないと、本書を通して強く思い至りました。
最後になりましたが、読んでいただきどうもありがとうございました。