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2021.04.20

修身教授録 第1部 第14講義『真実の生活』

こんにちは、イオン千葉NT教室の今野です。

皆さんは真実の生活、つまり在るべき日々の生活の過ごし方について考えたことはありますでしょうか。

森信三先生は、本書でこう語っています。

人間は、現在の位置より一段上の地位につきたいと思うものである。

たとえば、

○会社員の場合
係長⇒課長⇒次長⇒部長⇒取締役といった形で出世を目指していくこと。

○生徒の場合
学年順位50位以内⇒10位以内⇒5位以内⇒1位!や自分のTOP校合格!のというように成績の高みを目指していくこと。

上記のような例が挙げられるかと思います。

この高みを目指していくこと自体は、“向上心”の表れとして素晴らしいこと、この気持ちがあるから人は努力できます。

塾の役割としても、お通いいただいている生徒1人1人の成績を上げていくことは、第一に軸としてぶれてはならない重要なことだと感じています。

しかし一方で、本講義で伝えたいことは、「上だけを目指して生きていくことが果たして正解なのだろうか」ということです。

人情の常は、1つ上の地位へ登れたとしても喜びも”束の間”であり、また上へと登りたくなるものです。

本書では、この上の地位を目指していくことを、【様々な鉱石で出来た層よりなる大きな絶壁】に例えられています。

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(一部抜粋)
壁は、上へいくほど良い金属の鉱石があるとしてみましょう。するとその場合、地位を、一段でも上へ登ろうとする人は、いわばこの絶壁へ梯子をかけて、一段でも上の梯子段へ登ろうとしていることと同じです。

ここに一つ見逃してならない大事なことがあると思うのです。
それは、どこか一ヵ所にとどまって鉱脈に掘り込むことを忘れてはならぬということです。
もし梯子段を上へ登ることばかり考えて、そのどこかに踏みとどまって鉱石を掘ることに着手しない限り、一番上の段階まで登って、たとえそれが金鉱のある場所だとしても、その人は一塊の金鉱すらわが手には入らないわけです。

これに反して、仮に身は最下の段階にいたとしても、もしそれまで梯子段の上の方ばかりにつけていた眼の向きを変えて、真っすぐ眼前の鉱石の層に向かって、カの限りハンマーをふるって掘ったとしたら、たとえそれは金鉱や銀鉱ではないとしても、そこには確実に何らかの鉱石が掘り出されるわけであります。
たとえそれが鉛であれ、鉄であれそれぞれそれの役割もあります。

形式的に上へ登ることばかり考えている人間は、仮に金銀鉱のところまで達したとしても、何も得られず梯子段をさらに一段上へ登ろうとする人間です。

ここに人生の貴重な真理の一つが含まれているのではないでしょうか。
_____

この例は、学習にも通じるのでは?と、日々様々な生徒と触れ合う中で感じます。
たとえ、学年でトップの成績を取りたいと思っても、その前にまず目の前の学習の仕方(鉛の層)や伸び悩んでる科目の対策(鉄の層)を深く掘り下げていかねば、真の継続的な成績向上は難しいのではないでしょうか。

ただただ、上だけに囚われた学習はつまらないものになってしまいがちです。

(NEVER TOO LATE)
すべての生徒に、勉強のおもしろさを

(NEVER TOO LATE GOLD)
やり抜く生徒を、ヒーローに

上記フレーズはご存知でしょうか。
本講義を通し、生徒1人1人と接していく上で、忘れてはならないことだと改めて強く感じました。

一緒に高みを目指し、時には立ち止まって掘り進めることで、日々頑張ってくれている生徒全員の輝かしい道を拓いていける存在となれるよう引き続き精一杯努めてまいります。

ありがとうございました。

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