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2021.01.30

修身教授録 第2部 第26講義『二種の苦労人』

こんにちは、牧の原モア教室の岡本です。

 

本講義の冒頭、森信三先生は「苦労しないと、どこか人間が甘くて、本当の味が出にくいよう」だとおっしゃっています。
「苦労はするべきである」ということなのですが、今回はその「苦労」がもたらすもの、そして「教え」にまつわるお話です。
本書には苦労をした結果、全く異なる2種類の性格の人間が生まれてしまうということが書かれています。

「◯◯がある人間」と「◯◯がない人間」……みなさんはどんな人間だと思いますか?

 

いろんなことばが当てはまりそうですが、今回の答えは「思いやり」です。
例えば、部活動での先輩後輩関係で、自分が後輩の立場のときにこき使われたり理不尽に怒られたりして嫌な思いをした結果、
つまり苦労をした結果、自分自身が誰かの先輩になったときに「自分はこんな先輩にはならないようにしよう」と思えるか、
「自分が耐え抜いたんだから後輩にも同じことをしよう」、ひどい場合は「自分も後輩に意地悪しないと損だ」と思ってしまうか……
どちらの人間になるか、ということです。

昔を思い出して、ほんのちょっとドキッとしてしまう方もいるのではないでしょうか。

 

さて、話は少し変わって、森先生はこんなこともおっしゃっています。

人間ができ上がる上では欠かせない三大要素がある。
それが「先天的な素質」「道・教え」「人生の苦労」なのだそうです。

「素質」については生まれ持ったもので後から変えることができないのでここでは省き、「教え」と「苦労」に注目していきます。

 

「苦労」は大切だけれど、先程の例のように気をつけなければ冷たい人間やひねくれた人間が生まれてしまいます。
そこでキーになるのが「教え」です。

苦労を苦労で終わらせず成長へとつなげるためには、自分を顧みることができなければなりません。
そのためには「教え」=「生きる上での心構え」が大切です。
しかし、苦労に出会ってから慌てて教えや道を探るのでは遅いとのだと森先生はおっしゃっているのです。
それどころか、そもそも探すことすらできないとも……。

 

いやいや、そこは「Never too late!」と言いたいところですが、確かに、
困難にぶち当たってからではじっくりと考えることも万全の準備をすることもなかなか難しいでしょう。
いつ訪れるかわからない困難に備え、人間の道について深く考えておくことが大切だというのももっともです。

 

更に、森先生はこのようなことも教えて下さいます。
「単に道を聞いたり本を読んだりしただけでは、教えはなお向こう側に掲げられた図式にとどまって、
未だ真の自分を照らして、その心の悩みを消し去るほどの力を持つに至らない」

つまり、苦労する前に深く考えておくことが大切だけれど、真に深く考えるには苦労が必要だ、というのですね。

人間形成の三大要素

 

教育に当てはめてみるとどうでしょう。
多くの場合、子供達にとって勉強は
「向こう側に掲げられた図式」=「役に立ちそうな気がしなくもないけれど、実態も実感も湧かない謎の存在」
になってしまっているのではないでしょうか。

これら子供達の「向こう側」にあるものをどうやったら「こちら側」に感じてもらえるか。
どうやったら「真の自分を照らし」「心の悩みを消し去るほどの力」にしていけるのか。
私達の永遠の課題にも思えます。

 

木に栄養が必要なように、心にも適切な栄養が必要です。
心にしっかり教えの種をまいて準備ができていないまま苦労だけしてしまうと、うるおいのない大地で木が枯れてしまうように、
本当の意味で健康的な人間を育てることはできないでしょう。
教えは種や苗、苦労は水や栄養。
そのどちらも揃って初めて意味があるのだと思います。

 

子供達の来たるべき苦労に備え、一緒に種を蒔き、育てていける存在でありたいと改めて強く感じるのでした。

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