イオン千葉NT教室の森です。
各講義の冒頭に先生は深々と礼をし、講義が終わると黒板を丁寧に拭いて出ていく。
そんな一連の動きにも教育者の深さというものを感じる。
教育者としての道はいかなるものか。
「常に自ら求め学びつつあるでなければ、真に教えることはできない」
「教えるはすなわち学ぶことである」
単に教科書内容を1時間授業するにしても、3時間4時間準備をしてもなお授業がしどろもどろになることもある。
準備したことを伝えても理解を示す反応がなかったり、問いに答えられなかったりする。
それではと用意しておいた第二、第三の説明をする。
さらに予想外の質問が飛んでくることもある。
なぜ、そう捉えたのかと考える。もう授業の最中汗だくである。
さらに教育の眼目である相手の魂に火をつけてその全人格を導くということになれば実に果てしない。
そして、
「先生に教えを受けたればこそ今日の私があります」
とかつての日の教え子から言われるほどの教師になるということは決して容易ではない。
人を教える道は、一転して自ら学ぶ果てしのない一道となる。
教職につくということ自体が改めて深く切実に自ら学び、自ら求めざるを得ない責任の位置につくこと。
そんな重責につく以上、何よりも大切なことは、生涯を貫いてひたすら道を求めて、そこに人生の意義を見出すのでなければならない。
最後に堅苦しく考えると、硬い人間になってコツンと叩くとカラッとこわれてしまう。
そこで弾力のある人間になるには読書でしょう。
文学や詩歌、また短歌や俳句などに趣味を持つ良いでしょう。